人口20万人ほどの市で、市議会議員選挙が近づいていました。定数は30。立候補を決めたのは、38歳の会社員Cさんです。10年間、PTAや地域のNPOで活動し、子育て世代の声を市政に届けたいと考えていました。周囲は口をそろえて言いました。「あなたは知り合いが多いから大丈夫」。
ここからは、Cさんの陣営が告示2か月前と告示直前に行った2回の調査を追います。当社が手がけた複数の調査をもとに、特定の選挙とは切り離して構成した事例です。
「知り合いが多い」は、5%だった
最初の調査は、市内の固定電話に自動音声で発信する認知度調査でした。約300人が最後まで答えました。「Cさんという人を知っていますか」という問いに、「知っている」は5%、「名前は聞いたことがある」が5%。残りの90%は、Cさんの名前を知りませんでした。
Cさんは落ち込みました。しかし、これは珍しい数字ではありません。地域で長く活動してきた人でも、市全体で見れば1割に届かないことは珍しくありません。「知り合いが多い」とは、自分の周りの密度のことであって、市全体の広がりのことではなかったのです。
もう一つの問いは「投票したいと思いますか」。Cさんを知っている人のうち「投票したい」は4割強。知っていても、6割近くは投票先として考えていませんでした。
「知り合いが多い」という励ましではなく、「市全体では9割が知らない」という出発点。落ち込む数字ですが、告示2か月前に知れたことが、この陣営の最大の幸運でした。
当選ラインまで、あと何票か
市議選で戦う相手は、特定の候補ではありません。越えるべきなのは「当選ライン」です。この市の前回選挙は、有権者約16万5千人、投票率44%、最下位当選者の得票は約1,900票でした。有効票の3%弱を取れば議席に届く計算です。
では、認知度5%はどれだけの票になるのか。レポートでは、こう積み上げました。
| 有権者 | 約165,000人 |
| × Cさんを「知っている」5% | 約8,300人 |
| × そのうち「投票したい」4割強 | 約3,500人 |
| × 実際に投票に行く人の割合(この層で約6割と仮定) | 約2,100人 |
| × 「投票したい」と答えた人が本当に書く割合(約7割と仮定) | 約1,450票 |
| 前回の当選ライン | 約1,900票 |
認知度の誤差±2.5ポイントを考えると、見込み票は約700〜2,200票の幅。各係数は過去の調査から置いた仮定で、予測値ではありません。
見込みは約1,450票。当選ラインに450票足りません。しかも誤差を考えれば、下は700票まであり得ます。「知り合いが多いから大丈夫」は、数字にすると「運がよければ最下位当選」でした。
ただ、この計算は陣営に別のものも教えました。認知度を5%から8%に上げるだけで、同じ係数なら見込みは約2,300票になる。市議選は、認知度を数ポイント動かせば結果が変わる選挙です。問題は、その数ポイントをどこで取るか。
目標を「当選」から「認知度8%」に置き換える。測れる目標にすれば、残り2か月の活動を途中で点検できる。そして、認知度の内訳を見て、どこに時間を使うかを決める。
知られていない場所で、知られていない人に
5%の中身を、年代と地区で分けました。300件を細かく割ると誤差が大きくなるので、区分は粗くしています。Cさんが毎朝立っていた駅前は、通勤する現役世代が多い場所です。50代以下ではすでに9%に知られていました(Web調査では40代が11%)。一方、投票の4割を占める70歳以上では、3%。Cさんの活動は、知っている人にもう一度会い続けていたのです。
市全体では4割強だった「知っている→投票したい」の転換率が、自宅・隣接地区では約6割でした。該当者が少ない参考値ですが、方向ははっきりしています。顔を合わせたことがある人ほど、票になりやすい。認知度を上げる方法として一番効くのは、SNSやチラシではなく、まだ会っていない人に会いに行くことでした。
5%は、10%になった
告示の直前、同じ設問・同じ規模で2回目の調査を行いました。結果は「知っている」10%。5ポイントの伸びは、300件どうしの比較で誤差(±4ポイント)を超えており、偶然ではないと言える水準でした。しかも伸びたのは、狙った場所でした。70歳以上は3%から7%へ、郊外の2地区は2%から6%へ。駅前で伸び続けていた50代以下は9%から10%と、ほぼ横ばいでした。
「投票したい」の割合も4割強から5割に上がりました。郊外で会った人たちは、一度会っただけでも票になりやすかったのです。見込み票は約3,500票。誤差を見込んだ下限でも、当選ラインを上回りました。
それでも、残り2週間の方針は「安心」ではありませんでした。見込みの3,500票のうち、約半分はこの2か月で初めて会った人たちです。一度会っただけの記憶は薄れます。告示後の活動は、新しい場所を開拓するのではなく、2か月で会った人にもう一度顔を見せることに決まりました。
もう一度会う。
- 1選挙カーの経路を郊外2地区に厚く。2か月で回った集会所・朝市の前を、名前を連呼しながら通る。
- 2紹介してくれた人に、投票日の前に一報を。紹介された側にも「あの時の」と思い出してもらう。
- 3現役世代向けのSNSは続けるが、時間は割かない。すでに届いている層。
Cさんは、調査がなくても2か月間まじめに活動したでしょう。ただしその2か月は、毎朝の駅前で、すでに知っている現役世代にもう一度手を振る2か月だったはずです。調査が変えたのは、努力の量ではなく、努力の向きでした。市議選は、知られていない人に会いに行く選挙です。問題は、誰に知られていないかを、本人がいちばん知らないということなのです。
本事例は、当社が実施した複数の調査をもとに構成したものです。実在する特定の選挙・候補者を示すものではありません。数字はすべて架空の値です。